ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番&第2番が室内楽・器楽曲ストアでいつでもお買い得。当日お急ぎ便対象商品は、当日お届け可能です。アマゾン配送商品は、通常配送無料(一部除く)。 全4楽章から構成されている。改訂版では主題の書き換えと共に、第3楽章以外の短縮(全4楽章で1728小節→1279小節)などが行われている。 2020/07/18 2020/07/18 室内楽ファン垂涎の名演をセットで。カップリングは名手ティルシャルの共演。 現時点ではこのメニューの読み込みに問題があります。 2020/07/16 2020/07/07 10/3/2018 | 11:27 PM シゲティの演奏は風格がありますね。これをライヴ・イマジンの一回目に取り上げられていたのさすがと思います。 83 第1楽章 ピアノ協奏曲第2番変ロ長調, Op. 東大法学部卒、ペンシルベニア大学経営学修士。31年のサラリーマン生活を経て2010年にソナー・アドバイザーズ(株)を設立。現在に至る。 2020/07/12
ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調作品8 2018 OCT 3 0:00:33 am by 東 賢太郎 シューベルトが若書きの第5交響曲で見せた早熟の才について書きましたが、それを天才と言ってしまってはどうも思考停止で居心地が悪い。
2020/07/26 since September 2012 2018 OCT 3 0:00:33 am by 東 賢太郎シューベルトが若書きの第5交響曲で見せた早熟の才について書きましたが、それを天才と言ってしまってはどうも思考停止で居心地が悪い。僕のイメージは「凄まじいインプット能力」です。モーツァルト然り、メンデルスゾーン、ビゼー然り。そういう異能者は現に東大やウォートンで見ました。彼らは我々凡人が太刀打ちできる域にありません。5才でピアノが自由に操れるなら作曲ができるかどうかは僕には分かりませんが、楽器を弾く身体能力だけで交響曲が書けるとは思えません。大人っぽい言葉を驚くほどしゃべる子はいますが、その子に小説が書けるかというと別でしょう。それをするには言葉だけでなく人間や人生の機微に関わるまでの膨大な情報のインプットが必要であって、常人離れしたメモリー容量が必要です。これは音楽の特訓で育つわけではありません。つまり僕ら大人が19才のシューベルトの5番に心を動かされるのは、彼がサリエリ先生の特訓で得た音楽力以前に持って生まれた資質として、ティーンエイジの短期間に先人の(同曲の場合はモーツァルトの)楽曲を覚えてしまう能力、つまりクジラが幾千の小魚を丸呑みしてしまうほどの強大な記憶力の持ち主であったという前提ぬきには理解し難いという結論に至るのです。モーツァルトはバチカンでの有名な逸話がありますが、シューベルトに逸話はなくとも作品は雄弁にそれを物語ると思います。ではブラームスはどうでしょうか。彼は早熟の天才ではなく晩成の苦労人みたいにいわれるのが常で、青年期は貧困でバーでピアノを弾いていた、第1交響曲を書くのに20何年かかったという例がいつも引き合いに出されます。歴史というのは書く人がどう書きたいかでどうにもなるもので、あの人生の枯淡が滲み出た第4交響曲は幼少でコンチェルトをさらさら書いたような人間の行く末ではないだろうとは僕も思いたい。ブラームスは天才ではなく刻苦勉励型の秀才だったのだろうと。しかし我々の前には、彼が20才で書いたピアノ三重奏曲第1番がある。歴史はどうあって欲しいかではなく、物証主義で書かれるべきです。僕はこのロ長調のピアノが流れ出した途端に「あっ、ブラームスだ」という喜びに包まれてしまう。そんな情緒的でプライベートな感情をいきなり書いたとしても、なるほどと共感して下さる方は多いのでは?それほどこの主題は(こんな言葉が許されるならば)「ブラームス的」であって、彼の音楽を聞いたことがない人に「ブラームスってどんな感じですか」と尋ねられたなら、僕はまずこの主題を聴かせるでしょう。彼は、20才のモーツァルトがもう十分に「モーツァルト的」だったのと同じほど、そういう存在だったと思います。同じ若年の作品ですが、こんな音楽がシューベルトの5番よりも大人を説得できないと思う人はいるのでしょうか?オブリガート的に入って主役に座るチェロが高揚してゆく場面の和声展開のすばらしさ!何度聴いても魂を吸い寄せられ、彼がチェロ協奏曲を書かなかった渇望をしばし満たしてくれます。そこにヴァイオリンが加わって主旋律を歌うともうオーケストラだ。このメロディーはソいかがでしょう?この音楽がいかに魅力的か!全曲聴きたくなりませんか?覚えてしまえば一生の楽しみになること間違いありません。以下、このトリオについて少々のコメントをします。第2楽章の主題は敬愛した先人シューベルト5番の第3楽章、そして一番身近な先人であるシューマンの第1交響曲「春」のスケルツォを僕は連想します。モーツァルトk.550のメヌエット、k.421の終楽章もきこえる。第3楽章の霧の中のような雰囲気はハンマークラヴィールソナタの緩徐楽章を想起させないでしょうか。この楽章からブラームスは第4交響曲の冒頭主題を引いており(誰も主張してないが僕は確信がある)、彼は若年からそれに多大の関心を寄せていたのではないでしょうか。というのは当時このソナタを弾けたのはフランツ・リストとクララ・シューマンだけと言われており、クララの演奏を聴いたはずのブラームスが無関心でいられたことは考え難いからです。そして終楽章は、前楽章の霧を受け継いでクロマティックで減七が支配し和声感がやや希薄になる嵐のような世界を提示したまま異例の同主調(ロ短調)で終結させますが、これも20年前に書かれていたメンデルスゾーンのイタリア交響曲を前例とします。いま我々が通常耳にするのは晩年の改訂版(1889)ですがオリジナル版(1853-4)も聴くことができます。というのはブラームスとしては小品を除いて例のない新旧バージョンとも出版された事例だからで、オリジナルを廃棄しなかったのは愛着があったからなのか出版社との事情なのかは知りませんが、少なくとも彼は20才の作を残すことを認めたまま、それを素材として老境の知見を盛り込もうという衝動を抱いたわけです。いや、ひょっとすると上掲楽譜の冒頭主題があまりに素晴らしく、それを素材に楽章ごと別な作品を書きたくなったかもしれない。さほどに第1楽章の展開部、再現部のフーガなど両者はまったく人間は老境に至れば何がしかの進歩をするのものだと言いたいのではありません。彼がオリジナルも完成品として認知して残したというのは、バッハからシューマンまで先人の遺産がぎっしり詰まっている姿をそのまま自己の軌跡を回顧して慈しみ、しかもそこにはまぎれもない現在の自分も見え隠れしているではないかという満足感があったからではないかと考えるのです。明らかなことは、20歳時点で彼は先人の成果を消化吸収しており、丸呑み能力においてブラームスはシューベルトに劣らぬ早熟の天才だったろうという結論になりそうです。以上、資料がないことですからどうしたって想像ゲームの域は出ないのでありますが、こうしながら僕は歴史学者が遺跡を発掘して邪馬台国の場所を推理するような歴史ロマンを楽しんでいるということになりましょうか。酔狂な事ですがたまに面白いと言ってくださる方もいるので救われます。音楽(楽譜)が遺跡に当たるので言葉のハンディはありません、音楽さえたくさん頭に入っていれば誰でもアームチェアでできる冒険でもあります。遊びにすぎませんが、僕にとって大事なのはそうやってできたブラームス像という自分なりの座標軸をもって彼の作品を味わえることでしょうか。 最後に録音を挙げておきます。 youtubeで聴きました。表記がないがこれがオリジナル版であります。1889年版といかに違うか聴き比べてください。ライブですが演奏の質は高くアムランのうまさが冴えてます。 超大物3人のトリオ。すいません、こんな重量級の曲でないでしょが第一印象。スターン様のあんまり音程が良くない出過ぎも好かないのですが、しかし、この横綱の弦二人の張り合いだとイストミンのピアノが従者に回り、ドッペル・コンチェルトに聞こえてくるというのが新発見でした。室内楽って面白いですね。 ソナー・メンバーズ・クラブのHPは