ピットレーン入り口はホームストレートの中間にあるため、ピットに入る速度を大きく抑制するためにシケイン状のコーナーになっている。このピット入り口のシケインを上手く通過する事でピットのロスも減らせる形になっている。 これを受けて、改めてヨーロッパ式のロードコースとしてサーキットを建設することとなり、社名を現在の「富士スピードウェイ株式会社」に改めた。「サーキット」ではなく「スピードウェイ」という名をつけたのはオーバル計画の名残であるコースの建設が進む中、同年7月には計画当初から中心的存在だった河野一郎が死去し、その後富士スピードウェイの副社長であった息子の河野洋平が、河野一郎の後を継いで政界に入るために同社を退職した。 長い直線から最大のオーバーテイクポイントとなる1コーナーは、旧レイアウトよりも鋭角なヘアピンとなった。2コーナーからの坂はなだらかになり、3コーナーへ。サントリーシケインは廃止され、ブラインドの高速左90度コーナー(100Rはランオフ確保のため、旧レイアウトよりも手前に置かれ、大きな弧を描く高速右コーナーで、旧コースよりもカーブが緩くなり通過速度は高くなる。ヘアピンも若干手前に変更され、100R出口からヘアピン入り口の距離は縮み、ブレーキングが非常に難しくなった。
1980年代には3箇所の改修工事が行われた。 各コースごとに走行料金が設定されており、また安全のためにラップタイムやマシンカテゴリーごとに時間帯が区切られている。なお時間ごと、もしくは全日での貸し切りも可能である。またコース以外にもイベントスペースや駐車場エリアの貸し切りも可能である。なお、貸し切りイベントや貸し切り走行会以外で各コースを走る際には、サーキットライセンスの取得が必要である。 2000年(平成12年)、新コースは旧コースの特徴の一つだった約1.5kmの直線は残されつつ、コースが現代的に改良された。大きな変更点としては、旧コースでは最終コーナーから直線にスムーズにつながっていた部分が、新コースでは急勾配のつづら折れとなって入り組んだ複合コーナーの連続に直されており、難易度が増している。ドライバー側はコーナーのイン側が見通しが悪い事が指摘されており、スピンしたマシンに後続車が接触する事故も見られる。 富士スピードウェイの大きな特徴として、30度の当時、国内でこのような急角度の路面舗装を経験した業者はひとつもなく、依頼された日本鋪道(後の直線から30度バンクへはほぼアクセル全開で飛び込むが、走行ラインは1本しかなく、バンク下から吹き上げる横風の影響も受けたバンクの使用停止に伴い、以後のレースは全て右回りで行われる形に改められている。ただし、ファン感謝デーや旧コース時代の末期にイベントの一環として、体験走行会が何度か行われている。現在は一部の路面がモニュメントとして遺されたメモリアルパークとなっている。 グランドスタンドの座席は一席ずつ区切られ、ドリンクホルダーが設けられるなど、観客が快適にレースを楽しめるような工夫が凝らされている。また、グランドスタンドに障害者用観客席とトイレが用意され、また専用駐車場も近くに用意された。パドックとグランドスタンドを結ぶ通路も新たに広く、開放的な通路が設けられ、上り専用の1987年(昭和62年)から鈴鹿サーキットで行われていたF1日本GPの契約が2006年(平成18年)シーズンで終了することから、富士スピードウェイはそれ以降の日本グランプリの誘致を決定し、F1開催にあたっては、周辺の道路・宿泊施設等の状況を鑑みて、観客を駅や駐車場からシャトルバスで往復輸送する「チケット&ライド方式」を採用した。しかし、復活初年度の2007年(平成19年)は悪天候によりバス輸送が大混乱に陥り、予選終了後に観客が長時間にわたって場内に閉じ込められたり、決勝スタートまでに来場できないという不祥事が発生した。その他にも1コーナー仮設観客席からコースが見えないなどの諸問題が露呈し、日本GPの歴史に汚点を残す結果となった。レース後に観戦者より民事訴訟を起こされた。2013年1月24日に東京地方裁判所は訴訟を起こしていた67人の原告に対し、内53人に約80万円を支払うよう命じた2年目の2008年(平成20年)は20数億円を投じて対策を行い2009年(平成21年)7月7日、富士スピードウェイは日本GP開催からの再撤退を発表した以降はF1世界選手権の開催こそなくなったものの、その後もFIAの「グレード1」を持つ世界でもトップクラスの施設を持つサーキットとして人気を博し、2018年6月、スーパー耐久シリーズ富士大会として、富士スピードウェイにとって50年ぶりとなる24時間耐久レースが開催された。また、2019年の開催も決定したまた、さらに自動車レースのみならず、自動車メーカーやメディア、オーナーズクラブなどによる関連イベントや自転車イベント、音楽イベントを含む各種イベントも1年間を通じて頻繁に行われており、東日本のモータースポーツの中心地の一つとして賑わいを見せている。場内には「本コース」の他にも、「ショートサーキット」、「本コースは、全長1,475mという世界有数のロングストレートを持ち、コース幅も15〜25mと広い(鈴鹿は10〜14m)ホームストレートは現在よりも長く、1,700m近くあった。ストレートから全開のまま、30度バンクに突入。ぐるりと半円を描き、バンクを通過すると右、左と大きく旋回するS字コーナーを抜けて、現在の2コーナー出口に位置していた合流地点へ。左の超高速コーナー、250Rを通過して右の100Rへ。フルブレーキでヘアピンを抜け、300Rから最終コーナーまでの長い全開区間からホームストレートへ戻り1周となる。1周は6kmであり、当時の鈴鹿サーキット (6.004km) とほぼ同距離。フルブレーキポイントはヘアピンのみというハイスピードコースであった。 富士スピードウェイ(ふじスピードウェイ、Fuji International Speedway )は、静岡県 駿東郡 小山町にあるサーキットである。 略称は「FSW」。かつては運営会社の「富士スピードウェイ株式会社」の英文社名"Fuji International Speedway Co.,Ltd"にちなみFISCOと表記されていたこともあり、今も一部で併用 … なお、前述のインディ富士200マイルや1973年(昭和48年)の日本GPでは30度バンクを通らないショートコースを使用し、普段とは逆の左回りでレースが行われた。 全面リニューアル後の2005年から使われており、FIAの「グレード1」を取得している現行のレイアウトは距離が4.563km、コーナー数は16に変更された。コース終盤の第3セクターを中低速コーナーが連続するテクニカルセクションに変更し、高速テクニカルコースとなった。 2016年より新たに霧の発生や大雨により、レースの中止やスタートの遅延などが起きる場合もある。場内には本コースの他に、ショートサーキット、本コースでレース他イベントが開催されない際には、持ち込んだレース専用車(ナンバー付き車輌も含む)による時間貸しの練習走行枠が設けられている(サーキットライセンスの取得が必要)ほか、貸し切り走行や自家用車での走行、オフィシャルカーの同乗走行を行うことも可能であるまた、N1仕様の本コースストレート前に設けられているグランドスタンドには、ドリンクホルダーも備えられた観客席が多数設けられているほか、グランドスタンド裏のエリアはイベント広場となっており、全日本格式クラスのレースの開催時には、グランドスタンド裏では様々なイベントが行われるほか、多数の飲食店や土産物店が展開される。また、地元の名物料理などのなお、グランドスタンド中央部には、コース内側のコントロールタワーやパドックエリア、アドバンコーナー付近との間を行き来するための歩行者用地下道が備えられており、上りのみのグランドスタンド以外にも1コーナー近辺に常設の観客スタンド(2,200席、屋根なし)がある本コースストレート前のグランドスタンドの向かい側(コース内側)、ピットビルAに併設される形で3階建てのコントロールタワーがある。内部には競技役員室やメディカルセンター、事務所がある。なおコントロールセンターは1990年代に、現ピットビルやグランドスタンドに先立って新築されたものである。 富士スピードウェイ ご入場の際のFISCOライセンスカード提示について. この陳情の背景には、富士GCの観戦を目的とした暴走族(グラチャン族)が、サーキット周辺で集会や暴走行為などを繰り返すことにより周辺環境が悪化するという問題や、1983年(昭和58年)に再び富士GCで起きたこれに対し1980年(昭和55年)には、レーシングドライバーやレーシングチーム、1986年(昭和61年)には、三菱地所が富士スピードウェイのある小山町長に対し調停を申し立てたが、同年7月30日「この件は白紙に戻す」という町長裁定が下り、正式にサーキットの存続が決定した。 しかし、バブル景気崩壊後にモータースポーツブームが去っただけでなく、親会社の三菱地所も地価の下落に苦しんでいたこともあり、多額の投資がかかる大幅改修は行われないままであった。