タイトルの通りです。お隣り中国では何千年も前から弓と並んで使われていたのですから、当然日本にも入ってくると思うのですが…生産能力や地勢的な問題などで使用されずに廃れてしまったのでしょうか?ご存知の方おりましたらお教え下さ 連弩(れんど)とは、連射機構、もしくは一度に矢を撃ちだせる機構を備えた弩の一種である。 一般的には、弦を引き、矢を設置し、射出するという別々の動作を、弩を構えた状態のまま、片手の一動作で完了できる弩を指す。これは通常の弩よりも高い発射速度を与える。古代のより複雑な設計のものはチェーン駆動により作動した。幾本かのボルトを収容した弾倉が弩の頂部にあり、また長方形のレバーを前後に動かすことにより機構が作動した。 狩猟の時代から現代の戦争に至るまで、形を替えつつ用いられています。「弩」は弓を横倒しにした形で台座に取り付け、矢を打ち出す武器です。時には諸葛孔明が弩の発明者であったと語られる場合もありますが、弩が発達せず、独自の技術(技能)による弓道が発達したわけです。はじめての三国志は「ゆるく」「たのしく」「わかりやすく」をコンセプトにした歴史エンタメメディアです。(®登録商標:第5800679号)的を得た歴史感ですね。今の日本にもガラパゴス的思考は続いていますね。今後も中国を馬鹿にすること無く参考にした方がよいで。すよ孫武が活動した春秋戦国時代にはすでに存在していたことが確認できます。やがてスリングや弓といった、弦の力で弾(矢)を飛ばすものへと進化。日本ではなぜかこの「弩」、全然発達することなく終わっています。また、弓が使い手の個人的技量によって大きく性能が変化しますが、中国文化の影響を強く受けているハズの日本では殆ど用いられなかった。日本に騎馬兵中心の戦いが成立するほど大量の騎馬兵が存在したのだろうか?島根県の弥生時代の遺跡から「弩」の銃身部分が出土した記録があります。また、弓に比べて構造が複雑で高価であること、メンテナンスに手間が西洋でも同じような武器として、「クロスボウ」が使用されています。単純な構造の弓と違い、大きさと重量がある弩は馬上で用いるには適さず手で扱う弓よりも強力なものを作ることが可能で、威力と命中精度でこのことから、弥生時代にはすでに弩が日本に伝来していたと考えられます。このことから弩を「諸葛弩(しょかつど)」と呼ぶようになったのです。弩(連弩を除く)の欠点は速射が出来ないこと。イングランドの黒太子エドワード(中二病みたいですけど実在します)は長弓を中心に編成して戦果を挙げた記録があります。実際は弩と弓の混成だろうが、この辺りは戦国時代の鉄砲隊の編成と似ていると思います。 そんな春秋戦国時代までさかのぼれる連弩であるが、実はつい100年前まで現役の武器であった。日清戦争時、日本と戦った清の兵士は、この連弩を使ったのだ。マイナーな武器ではあるが、実はものすごく息の長い武器だったのである。
どうして日本ではヨーロッパほど馬車による移動が発達しなかったのでしょうか?長い数字を何乗もするとき、簡単にできる電卓のボタンはあるのでしょうか?電卓にもよるとおもいますが、一般的にどうしたらいいの?回答してくださった皆様、多忙の為レスが遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。失礼ながら、一番上にあるこの書きこみの所で纏めてお礼を述べさせて頂きます。本当にありがとうございました。石垣があるから石がないわけでもないしフビライの時代にはカイカイ砲という投石器が城攻めに使われてましたし、当時はポルトガルや東南アジアとも交流があったのでたぶん伝わっていたと思うんですが、不思議です 誰か歴史に詳しい人 教えてください。歴史上の戦闘でもっとも威力があって射程距離が長かった弓はどこの国の何時代の弓ですか?それと比べて日本の弓の優劣はどのようですか?またそういったことを扱ってる本とかURLをご存知の方がいらしたら教えて下さい。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。 連弩は戦国時代(紀元前5 - 3世紀)には既に存在しており、18本の矢を装填し、2本同時に発射可能なものが楚人の墓地から発掘されている。 漢 代でも改良は続けられ、 三国志 中には 諸葛亮 がそれを改良して 元戎 (げんじゅう)を作ったとする記述がある。
発掘された事例もあるので、この説も間違いです。 孔明が行ったのは連弩の改良に過ぎませんでしたが、 連弩(れんど)とは、連射機構、もしくは一度に矢を撃ちだせる機構を備えた弩の一種である。 一般的には、弦を引き、矢を設置し、射出するという別々の動作を、弩を構えた状態のまま、片手の一動作で完了できる弩を指す。 これは通常の弩よりも高い発射速度を与える。 矢を自動装填できる「連弩(れんど)」の発明者が孔明であった、 という説もありますが、紀元前4世紀のものとされる連弩が. お世話になります。「日清談判破裂して~日露戦争はじまった~」という手まり歌があるのを知ってますが、歌詞の全容を教えてください。「(ナントカカントカ)ロシアのステッセル」という一節もあったと思います。また、作曲家・作詞家が