?謎解きレビュー。名言も紹介!米津玄師「海の幽霊」歌詞にも秘密が隠されていた!誰も知らなかったソングや誕生祭の真実に … アニメ映画「海獣の子供」あらすじ、ネタバレ、感想。実は の世界観が入ってる! メールアドレスの書式が違います。パスワードを入力してください。ただいまメンテナンス中です。しばらく経ってからログインしてください。
『海獣の子供』は、内容がものすごく分かりにくので、面白く見るためには事前知識を持っておく必要があるかと思います。 事前知識なしで見て理解できるのが1番面白いと思うので、自信のある方は、この記事を読まないで、すぐに劇場に行ってください! 【主題歌】米津玄師(「海の幽霊」) 【2020年01月29日(水)発売】劇場版アニメ「海獣の子供」Blu-ray・DVDの商品情報や、店舗特典・限定版特典などの特典情報についてまとめています!限定版には、「限定版ブックレット(48P)」や「縮刷版アフレコ台本」、「特典DISC」など豪華特典が付属します! 海獣の子供 番組内容. 海獣の子供
8/3(月) 21:00 シネマ SUNNY 強い気持ち・強い愛 日本 【監督】渡辺歩 【声の出演】芦田愛菜、石橋陽彩、浦上晟周、森崎ウィン、稲垣吾郎、蒼井優、渡辺徹、田中泯、富司純子 自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花。母親と距離を置いていた彼女は、夏休みの初日に部活でチームメートと問題を起こしてしまい、家にも学校にも居場所を失うこと … 【同特集の次の放送】 海獣の子供を理解していくうえで大事な要素それが「パンスペルミア説」 映画でもさらっとしか出てこないけど、これを知っていないことで置いてけぼりをくらった人も多いんじゃないかと思う。 海獣の子供(5) - 五十嵐 大介 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。 【真夏の邦画スペシャル】話題の邦画を22本の特大ボリュームで放送 8/4(火) 19:00 シネマ チア男子!! SHAREこんつは、高校3年生まで海辺で育ったエンタメブリッジライターしおりです。小学生のときには「おーい海」って歌まで歌わされました。ここまで全身&魂が揺さぶられた映画は10年ぶりではないか?!と思うほど素晴らしい!だって、映画観終わった後、見知らぬお年寄りが落とした杖を拾ってあげたもんね(←なぜこんな心理になるかもあとで解説しよう!)まずはクイックリビューで、海獣の子供の天才製作陣からご紹介。この映画を観た人は100%の確率で「アニメーション映像がすごい!」と言うと思います。難解なんだけどべつにわからなくていいです、「わからない」を楽しむ非言語的な映画だから。そもそも五十嵐大介さんの漫画原作5巻(2006~2011年連載)でさえ「解釈が難しい」とされてたんだから、「映画はどうなるんだろ?」と思っていたんだけど、ま、そんな映像の美しさにつきましては他のレビューサイトにお任せするとして、目次映画を観る前、やっちまいました。それは「Kindleで原作全5巻のうち、6月中は1巻だけタダ読みできる」ってやつ・・・原作と映画はかなりストーリー軸が変わりますので、適当な予測がアレ?アレ?とどんどん外されていきました。まだ映画を観ていない方は「原作は全く読まない」か「すべて読む」のどちらかにすることをオススメします。あらすじはあくまで映画のストーリーに乗っ取って書きますね(ネタバレありにはすでに解釈を含んでいます)。この話は、中学生琉花(るか)の夏休みの物語。この「青風景に、赤の刺し色」を見れば、舞台は一目で鎌倉エリアだとわかります。鎌倉ってそういう赤と青の街なんですよね。そして、琉花はその鎌倉含む湘南エリアに在住。ちなみにこの赤と青の対比は、のちの、さて琉花はハンドボール部にいそしむ反面、「言いたいことが言えない」が裏目に出て、夏休み初日にいじめられてしまい退部させられます。両親は別居中で、家には飲んだくれの母がいるだけ。家にも学校にも居場所がなく、やさぐれながら「新江ノ倉水族館」で働く父のもとを訪れます。ここから、琉花のディープな一夏が始まります。五十嵐作品の特徴は、最初にこの映画のテーマをズバリ言うと、僕たちはどこから来て、どこへ行くのか?です。さっきの謎の少年海たちがこのセリフを連発するのですが、要は「生命の来る道と行く末」を探る映画です。その中で、彼らと関わる私は映画館に早く着いたので、開始前の新作映画の予告編(「ONE PIECE STAMPEDE」「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」「天気の子」など)を観ていたんですが、こぞってそれだけ私たちは、生きる意味とか自分の存在意義がわからないのかなぁって。その後始まった「海獣の子供」はそういった疑問に答えてくれるような映画だったと思います。ただ、映画は原作の10分の1ほどしかセリフがないwもしレビュー書かなくていいんだったら、私は目を閉じて、この映画を聞いていたと思うな(笑)と前置きもそこそこにあらすじに戻りますが、水族館で出会った海くんは、10年前フィリピン沖合で発見されたジュゴンに育てられた少年でした。「水がなければ生きていけないから」と水族館に預けられていたんです。海くんには、同じくジュゴンに育てられた空(そら)という金髪で色白の兄がいるのですが、空は体調がすぐれず入院しており、ちなみに空の性格は海とは正反対で、すべてを達観したようなつっけんどんなキャラ…。夏休み中、水族館の掃除を手伝うことになった琉花は、海とすっかり意気投合。人魂(ひとだま)が来るよ!と海に誘われるがまま、ある日の夜、2人は隕石がシャーっと小笠原沖に落ちるのを見ます。海や空はどうもそして、海がぽつりと言うセリフ。ソングが聞こえる…ソングとは、ザトウクジラの奏でる声の唄のこと。先にネタばらししますが、「誕生祭」とは銀河や惑星、宇宙そのものが地球からビッグバンみたいに誕生する出来事のことで(っと言葉で説明してもわかりづらいと思いましたので、招待状っぽく図にしてみました。さてさて海や空と次第に交流を深めていく琉花。クジラの唄は、海の複雑な情報を見たこと、感じたことをそのまま伝える。空たちがこぼすこんなセリフは、ちなみに原作では、なぜ琉花がコミュ障かっていうと、「本当は海で生まれるはずだったけど、陸で生まれてしまったから」ですw一方世界では、NYなど本来の生息地域でない場所でクジラが発見されるという怪奇現象が起きていました。湘南でも深海魚が大量にうちあげられるなど、ただこれも、海の世界ではすべて「誕生祭への準備」なのです。その中で科学者たちは海と空を追っていれば、クジラの祭りの秘密や、その祭りに誰が招待されているのか?海の神秘がもっとわかるのではないか?と海くん空くんを利用しようと考えるんですね。そんなある日、空は入院している病院を逃げ出しました。周囲が心配する中、まったく気にしない海。なぜって、2人は目に見えない伝達手段を持ってるから。「このままクジラを見に行こうよ!」と、海と琉花は、伊豆方面へヒッチハイクします。その伊豆方面の海岸で、琉花はアングラードという名前のジムの若い助手と出会います。アングラードは海と空の寿命を延ばしたかった。この星で1番偉いと思っている連中(人間)から…。と、琉花は海や空の影響でスイスイ~と泳げるようになり、ジンベイザメや魚の大群と泳ぎながら、海と空と過ごす日々を「楽しい」って感じるようになります。同時に、琉花は赤ちゃんの頃お母さんにおんぶされ、子守唄を歌ってもらっていた記憶、小さい頃水族館で巨大ジンベイザメが光っていた記憶…あるとき、空はこんなことを琉花に言います。この世界は目には見えない。世界の質量率の90%は暗黒物質。人間の中には記憶の断片がある。大きくなった記憶が吸い寄せられ、さらに大きくなる。それはまるで星の誕生、宇宙みたい。宇宙は1つ、元はみんな一緒なんだよ。生物はみんな、原料は同じなんだから。このあたりからSF色が濃くなり、時間も空間も次元も交錯していきます。ここからの私の文章もよく意味が解らない箇所があるかと思いますが(笑)、出来の悪い短編小説みたいに読んでください(ペコリ)あるレビュワーさんは「観てくれとしか言いようがない」と完敗宣言までしておられましたorz誕生祭の前日の夜、満天の星空の下、記憶の中の海を泳ぐ琉花…琉花も時空間を移動し始めます。砂浜に上がると、空が琉花にキスをしました…君に託した……時間が…来たようだ…。クジラ主催の宇宙の誕生祭には招待者がいるのですが、それは隕石の持ち手――ちなみに琉花(るか)の名前の由来は、原作で示唆されているのですが、進化系統樹の1番根っこにある細菌・古細菌・真核生物の共通祖先、「LUCA=Last Universal Common Ancestor」のこと。つまり湘南の現実生活に舞い戻ってきた琉花。そこで私の大好きなキャラ、デデという東南アジア系(?)のおばさんに会います。特技がアイヌのムックリ(口琴)演奏のデデは、「びよ~んびよ~ん」と船に乗りながら演奏するのだけど、アイヌのムックリは風や熊の声を模倣していると言います。ちなみに私もアイヌ博物館でムックリ演奏しようと思ったのですが「スコーン!」と糸が抜けて何回やっても不発に終わりました…。誕生祭の当日、暴風雨に見舞われながら船を出したデデ、アングラード、そしてクジラに乗って沖に出る琉花と海。風はあらゆることを知っている。言葉はほんの少ししか知らない。過去や未来の記憶に出会う。(びよ~んびよ~んびよ~ん…)・・・映画がこのあたりにさしかかると、私はあることを直感。あながち、これは外れていなかった(というか的を得ていた)ことは後で解説します。698.45ヘルツ、星の死ぬ音が聞こえる…と船上でつぶやくデデ。ちなみに698.45ヘルツは、オクターブ上のファで、後で久石譲さんのサントラを聴きましたが、実はこの後半シーンまで、このオクターブ上のファは数回しか出てこないんです(ドシラソファってしかたなく降りてくるメロディー程度ですね)。デデのムックリ演奏が始まるこのサントラから、短調のメイン音としてオクターブ上のファや、それを中心とするニ短調やヘ短調系に変わってい行きます(別に久石譲さんが狙ったわけではないと思いますが…)。あらゆる海の生き物が琉花たちの進む方向、隕石が落ちた小笠原沖の「誕生祭」の舞台へ大移動。(クジラの)ソングが来る、直接だよ!と海が叫ぶと、銀河、星雲、DNAの螺旋、原始菌類…あらゆる渦が交錯。誕生祭は「未来、過去、現在」すべて1つに入り交じり、5次元的空間を作り出します。その中に飲みこまれた琉花と海。鍾乳洞のようなひだひだのクジラの体内は、まるで人の赤ちゃんが出てくる産道のよう・・・。クジラの中に入った海は、黄色のタツノオトシゴに変わっていました。この映画は人魚伝説になった魚ばかり出てきます。加えてタツノオトシゴは、卵と稚魚をおなかの育児嚢で保護することから「安産のお守り」として有名で、海は一瞬そんなお守り的存在になったことがうかがえます。そしてここから、宇宙の壮大な安産が始まるのです。隕石は記憶を混ぜる。空と海が重なり、命の唄が聞こえる。宇宙の全部が声をあわせて。・・・星は 星々の。海は 産み親。人は 乳房。天は 遊び場。あ~この星の詩、何回聞いてもええわ~♪いよいよクジラの誕生祭ソングに、琉花の腹の隕石が共鳴&増幅振動。後で詳しく解説しますが、海くんは琉花の腹にある隕石を奪い取って口に入れようとしますが、「ダメ!」と琉花に奪われ、琉花が自分の手でもう1回に海に隕石を飲ませます。1つのヒントは、バリで死者の定義とはだから逆に口に隕石を自らの手で入れた琉花は、自ら海くんを命として誕生させたかったんじゃないかな?なぜならその後、海は人間の赤ちゃんの姿になり、母親になった琉花に揺りかごのように抱っこされるからです。海がジュゴンに育てられたことを知る琉花、自分の母との愛着関係に悩む琉花、母からの子守唄を異様に懐古する琉花だからこそ、人に産まれ直した海に愛を注ぎ込みたかったんじゃないかな?って思います。ただ、海が人間の姿だったのも束の間。隕石を飲んだ海くんは宇宙そのもの、宇宙の核のようになってビッグバンのような現象が起きます。このシーンが20分くらいは目まぐるしく続き、ついにすべてを誕生させて役目を終えた海くんは、宇宙に溶け消えそうになります。海くん、どこへ行くの?私も、ずっとずっと一緒に…海は黒い体に変貌し、2つの目がギョロリと残ります。これもまた途中、海や琉花の体内に銀河が渦巻くような絵が出てきますが、これは私たちの体内にも同じように宇宙が内在するということを表わしているでしょう。それは・・・①人間は切り離された1個体として生きているのではなく、宇宙も人間も生物もすべての命は1つのものから生まれ、死ねば1つのところへ還りゆくということ。②そもそも宇宙全体をひっくるめているというのが生命の1個体であり、人であり、私であり、あなたであるということ。そんな宇宙創造の物語を、琉花は自分の目で確認したのです。――琉花は持っていた石、役目を終えた隕石、海くんの一部的な石を、再び飲みこんで体内に入れます…まるでお守りのように…。米津玄師の主題歌「海の幽霊」とは、空と海2人のことです。ただし、原作にはこう書かれています。幽霊にも色々ある。物の幽霊、事の幽霊、過去の幽霊。そして、未来の幽霊…。空と海は、海に浮かんでいた琉花は両親に発見され、現実生活に戻りました。港にいたデデが最後、琉花にこう言います。私もアンタくらいのころに会ったのさ、海から来た子に。私たちがどこから来て、どこへ行くのか…時をすり抜ける少年。お前さんの手のひらにある世界は、小さな物語が姿を変えて潜んでいる。アンタでいいんだよ、信じておやり。海と空を、そして自分自身を!そして帰り道、琉花の足元にハンドボールがコロンコロンと転がってきて、その先は自分をいじめた女生徒がいました。命がけで誕生祭に参加し、成長を遂げた琉花。(命の出どころと行き先がわかったんだから、もう何も怖くない)そんな心の声が聞こえてきそうな琉花は、しっかりとハンドボールを女生徒に投げ返します。相手と自分も大もとは同じなんだし、「取り繕うことなく自分らしくあればいいんだ」ってメッセージは琉花の胸に深く刻み込まれたようですね。エンドロール後、なんと琉花に下の兄弟ができるんです。琉花が母の出産に立ち会い、おそらくこの下の子は、空と海の2人の魂を持って生まれた、来世の子だったと察します。ねんねんやあろ おべんろよこの子かわいや かぎりなく海にうまれた うおの子も乳をふくませ あしもつきはい、ラストもしっかり詩的な童謡が登場。「うおの子」は空海2人のこと、そして琉花のことでもあるでしょう。いや、見どころってどーするよ?って感じですよ。深すぎるし広すぎる!ただ原作者五十嵐先生が、映画製作陣に「自由に解釈していただいていいですよ」とおっしゃったそうなので、お言葉に甘えて私も自由に解釈させていただきます!今回は「海獣の子供」に秘められた数々の謎を解釈していきますよ~。私がこの映画で「あっ、バリ島っぽい」と思ったのは、やっぱり「1人1人が宇宙」っていう内包的な考え方に近づいてからですね。原作漫画はそこは注意喚起されていて、科学寄りにならず、かといって神話的になりすぎず、どっちつかずの曖昧なラインを攻めています。後で原作者五十嵐さんのTwitterの原画、さらに原作も読んで、インドネシアの影絵芝居「ワヤン・クリ」が出てきていたので納得です。ただ日本の影絵とはずいぶん違っていて、子供に見せる人形劇みたいな位置づけではありません。結婚式などの儀礼で徹夜で行う神聖なものであり、影の映る客席側は「現世」や「現実世界」、人形を操る演者側が「異世界」や「あの世」とされるんです。この空間移動は、まさに海と空がやっていたことですね。ちなみに「隕石を精子」「地球を子宮」とする思想もワヤン・クリの定番である宇宙創造話から来ています。原作では、その宇宙創造の話がアングラードの口から語られます。宇宙支配神がその妃と共に、牛の背に乗って大海の上空を飛翔していたんです。体がくっついてたからかな、そのうち宇宙支配神が妃に欲情してしまって、精液が1滴こぼれてしまった。精液は海中に落下して、巨大な羅刹(らせつ=悪魔的存在)となって、天に昇っていったそうです。それで思ったんですよね。宇宙支配神の精液って「隕石」の事なんじゃないか…。ちなみにアングラードの語る「宇宙支配神」とは、破壊神シヴァのこと。シヴァ神はインドでは男根をかたどって祀られており、もともとは男根の神様なのです。シヴァ神の役割とは破壊と再生で、すなわち「宇宙の再構成」ということ。海獣の子供も同じように、バリヒンドゥーは二元論の世界観で表されますが、アングラードが使った船の名前が「ルワ・ビネダ」、すなわちrwa=2つ、bhineda=相反する、となっているのも興味深いですね。これらは海獣の子供バリヒンドゥー説の一例で、まっだまだありますよ!日本だとやっぱり人は人だし、他人は他人だし、宇宙は宇宙って別個に存在するでしょう?でもバリって違うんです。バリに行った人の話だと、バリ人は『自分がそれぞれ宇宙だ、お互いが宇宙だ』と思っているから、バリ人に文句を言っても始まらない!と冗談を言っていました(笑)「海獣の子供」とバリが少し違うのは、このミクロコスモス(小宇宙)1つ1つの根元が、共通のマクロコスモスモス(大宇宙)から来ていることかな。ただ、海獣の子供はわざわざ「このお話はミクロコスモス×マクロコスモスですよ~!」なんて言葉では解説しません。自然とそんな風に感じていくように作られているんです。だから私も冒頭、杖を落としたお年寄りに、それを拾って差し上げたという話。海獣の子供を観ていなかったらスルーしていたと思います(恥!)でも「この人も私も出どころは同じ、お互いが全体」という発想を持ったら、琉花もラストは結局そこに巡りついたんじゃないかな?それをしれっと教えてくれるのが、海獣の子供の最大の魅力だと思いましたね。「誕生祭」という発想は、原作者の五十嵐大介さんが、長いですが、その詩をご紹介しましょう。この詩は、さすが幼いころから神社に通うことが趣味だったという五十嵐さん。映画で出てくる、どう見てもルーツは南アジアであろうデデ。デデが鳴らす口琴は、形状からしてアイヌのムックリで間違いないと思いますけど、デデとの風貌とはいまいち不釣り合いです(べつにムックリは誰が演奏してもいいんだけど…)。口琴について調べたところ、口琴はシベリア~オセアニアまで、かなり広域に存在している楽器なのだそう。元になった蛙の詩の誕生祭のBGM「ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろりつ」を、バリ人は口琴で奏でるんですね。ゲンゴンの他に、バリにはもう1つ蛙の声を真似た楽器があり、その名も「蛙の声」と呼ばれるスアラ・コドック/suara kodok。カスタネットのようだったり、ギロのようだったり、色々な形態のあるスアラ・コドック。バリの口琴の特徴は、文化的・儀式的な思い入れが少ないのが特徴だそう。ただ、バリ人が蛙を奏でることには面白い読みがあり、つまり海獣の子供は元ネタの蛙の詩「誕生祭」から始まって、その蛙の鳴き声はバリの楽器、バリヒンドゥーの再生象徴という世界観まで、再び繋がり合うんですよ。なんだかとっても不思議な関連性で、「繋がる」ということが映画の大切なテーマであることを思い知らされますね。さて、バリからちょっと離れましょう!皆さんは「渦」と聞いて何を思い浮かべますか?原作者五十嵐さんは「渦」にの表現に大変こだわったそうです。ある物理学者によれば、生命はつまり渦のエネルギーは、どんなミクロな生物にも、マクロな銀河にも共通して備わっているそうなのです。渦巻きと聞いて私が1番に思い浮かべるのは、やはり縄文土器って、ものすごく個性的なぐるぐる縄文様が表現されていると思いませんか?こういった渦巻き文様は「先住民」と名の付く文化にはたいていあります。ユーラシア大陸の西端にあるネイティブ、ケルト民族は、今でもこの渦巻き文様を衣服や装飾に使っているそう。なるほど昔の人は「r=aθ」 が発見される前から、世界を渦模様で表現していたのですねぇ。ちなみに東洋の日本は縄文土器に見られる渦巻き思考の民族だと思いますが、最近はどうも西洋の垂直思考に押され気味。自分の身体に合わない筋肉をつけてもしかたない、余計に動かなくなる。とイチロー選手が現役中インタビューで、野球選手の過剰な筋トレに「待った!」をかけていましたが、私たちが最近お疲れ気味なのも、体質に合わない垂直思考で世界を把握し、行動しているからかもしれませんね。最後にザトウクジラの唄について。クジラの祖先は5300万年から存在しているそうですが、彼らの唄は人間が今作っているような歌と驚くほど似ているのだそうです。例えばつまり、これについて、物理学者のブライアン・スウィムが興味深いことを言っています。ドラマーはドラムを演奏しているだけだと思いがちだが、本当は世界を演奏している。銀河の起源は、音楽にある。銀河とその集合を組織したのは、宇宙が誕生したときに、最初に火の玉に浸透した「エネルギーのパターン」である「音楽」だ。すなわちさらにスウィムは続けます。これらの音楽パターンが、火の玉を複雑な形態――およそ150億年後に「銀河」と名付けられる形態に変えた。銀河は、火の玉火の玉の音楽は銀河になり、星になり、鳥になり、人間になり、クジラになる。()は海獣の子供の言葉で補足しています。クジラは宇宙の理法であるソングを、人類誕生のはるか昔の5300万年も前から深海で歌い続けていたんですね!私たちにとっては「海獣の子供」という映画自体が、宇宙の理法を知らせに来てくれた海空コンビみたいです。そもそも非言語な世界を描き出す映画なんだから、それを言葉にするのはあまりに難しいし、陳腐な次元へ貶めてしまうんじゃないか・・・?って。その中で私が感じた2点の重要ポイント、「言語を超えた体験」「琉花の成長とは何だったのか」について考察してみたいと思います。空はこう言うんです。「言語で考える」ってことは、決められた型に無理に押し込めて、はみ出した部分は捨ててしまうということなんだ。人は言語を猛スピードで発達させてきました。人間の赤ちゃんも3~4歳ころから必死で言葉を覚え、物事を分化する思考を一生懸命獲得します。言語によって私たちは混とんとした世界を判明に区切って、安定した意味体系を作って日常生活を維持しています。言語だけでなく、バリでは今でも、太陰暦に根差したバリ暦が生活に欠かせません。バリ文化のシンボルであるガムラン音楽の音階は、貨幣経済が浸透し、楽器が売れるように「ドレミファソラシド」の音階が規定されたピアノの「平均律」を思いきり外します。そういう多様性をスンナリ受け入れるんですね。海獣の子供はまるでガムランのように「平均律」の言葉を外し、少ないセリフも思いっきり抽象度が高いです。フランスの思想家バタイユはこう言っています。詩は、意味体系を解体し、意味それ自体を超えていく。感嘆の叫びや獣の咆哮のように、その音それ自体がすべてである瞬間を開いていく。以前映画「そんな言語社会の中、どうも人は理性による人間性の圏域内にいることに疲れ果てて、生命そのものに触れるような動物的次元に回帰することを望んでいるようにも思えます。海獣の子供のキャッチコピーはそのコピー通り、琉花が約束の内容を言葉にして語ることは1度もありません。あの一夏の経験で見て聞いた情報すべてが、彼女の言語を超えた経験です。そのことを追随するように、映画「海獣の子供」はこざかしい説明もなく、壮大なアニメーション映画となって世界を切り取らない「言葉の世界を超えた経験」――これを映画館で体験できたことは、私にとってとても幸運なことだったと思います。私はさんざん琉花を「コミュ障」と呼んできましたが、琉花はラストそれを克服したと思います。琉花は練習中、いじめっ子に足を引っかけられて転び、次のプレーでその子を肘でどついたので、職員室に呼ばれるんです。おそらくここで「空気を読む」とか「そこそこ処世術がある」という平均的な人は、でも、琉花は「先に向こうがやってきた」とかモゴモゴ言おうとして、結局退部になります。人間に「平均律」があるとしたら、琉花はそこをちょっと外れている子なんです。でも今の日本って、ちょっとでも平均をはずれようものなら、「コミュ障」だの「学習障害」だの「ADHD」だの、そして平均から外れた人を、新たな平均律の基準のカテゴリに押し込めてしまおうとするんですよね(「ド」がダメなら「レ」とか)。原作と映画の1番の違いは、原作が群像劇であるのに対し、映画は琉花1人の成長劇としたことです。まず1つは、言語によらないコミュニケーション手段が存在することを知ったこと。次に、平均律と平均律の間の行間…人間が理解できない部分を空と海が読み解いてくれ、「自分が理解されている」という安心感を得たこと。この3つのプロセスによって、琉花の成長とは「平均的な人間になれた」ということでは決してありません。むしろ「『平均律』も『平均律と平均律の行間』もひっくるめて、世界はすべてのハーモニーで奏でられる」という「全体」を見ることができたのが成長です。琉花は誕生祭の経験後、他人を敵/味方とか、好き/嫌いで分類するのではなく、こういう琉花の思考の変化に救われる人って、たくさんいるんじゃないかな?明治以後、西洋思想の流入によって、私たちは人間集団を「個」に分離し、「個人」という近代的自我を持つ生き方に大きく転換させられました。目標を見つけろとか、自分の個性を知れとか、自分と他人は違うとか、自立して社会に出ろとか・・・さんざん言われてきましたよね(笑)?しかし、それは次第にさっきの垂直思考の10歳の革命家Youtuberゆたぼんがいっとき騒がれましたが、彼もこれに限界と悲鳴をあげた一例でしょう。映画前半で、琉花は空くんから「無責任」とか「人まかせ」とか挑発的な言葉を言われます。琉花はそんな自分の課題に対して、「努力」とか私たちが1番やりそうな手段で克服したのではありません。なんつー宙返り的な手段!これぞ渦巻き思考の手法!海獣の子供は、現代を生きる私たちにもそういう意味では私たちも、誕生祭による生まれ直しが必要なのかもしれません。長々語ってまいりました海獣の子供。ちなみに「海獣」とはジュゴンやマナティのことで、地上に繁栄しはじめた哺乳類の一部が水の世界に適応し、「海獣=海に帰った獣たち」と呼ばれているからなんですよ。そんな未知の深海を探検するような映画、ぜひこのような方に観ていただきたいですね。今夏は「きみと、波に乗れたら」や「ブレス あの波の向こうへ」など海映画が目白押しですが、海獣の子供は命懸けでオススメしたいです!浦沢直樹をして「今日本で1番絵が上手い漫画家の1人」と言わしめた五十嵐大介さんは、多摩美大を卒業されています。漫画の絵も素晴らしく美しいのですが、20代の頃CGのアニメーターと付き合っていた私としては、「この漫画、どうやって動くの?」ってアニメ化も気になるところでした。まず、主人公など人物の近影は、五十嵐さんの繊細な線がそのまま残されて、ドキッとするものがあります。壮観な背景に人物が動くどんなにストーリーがわからなくても、アニメーションの美しさにほれぼれすることは保証します!海獣の子供は唯物論に待ったをかける映画ですが、かといって押しつけがましくないです。映像のすごさがそれをカバーするような感じで、2時間の間にしれっと「この世には見えないものもあるんですよ」と教えてくれますね。特に企業戦士(死語)なんかにはオススメですね。なんていうかな、人間は1人じゃないんですよ。それは絆とか血縁とか思いやりで繋がるとかそういう意味じゃなくって、今私たちは、誰かが定義したような世界のルールに乗っ取って生きてますが、自殺したい人はそのルールに「ええ加減限界!」という方々でしょう。琉花のお母さんは謎めいていますが、原作では元海女さんであったことが語られます。世界の大部分は「人間じゃないもの」でできてるでしょう?自分は世界を割合の通りに見ているだけなのに、どうやら他の人たちは違うらしい。って言うんですね。たぶんこの映画を観たら少し気持ちがゆるんで、死にたくなくなると思います(笑)CATEGORY :映画「ドクター・ストレンジ」医者が魔術師に!?その感想とあらすじ【ネタバレあり】映画「名探偵ピカチュウ」ポケモン実写化ピカチュウの声優はあの俳優!あらすじと感想【ネタバレあり】「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」を評価しながらネタバレ紹介!続編やラストの考察も!「アイアンマン」アベンジャーズとマーベル映画の快進撃はここから始まった! 戦う億万長者ヒーローの見どころとあらすじを解説!映画「バンブルビー」ただの車じゃない!?そのあらすじと感想【ネタバレあり】【ネタバレ注意】なぜ、君の名は。は大ヒットして高評価を得たのか?次の記事
(2019年 日本) 五十嵐大介による同名漫画をSTUDIO4℃がアニメ映画化。ひとりの少女がジュゴンに育てられた兄弟との出会いを機に、海と生命の神秘に触れる壮大な冒険を繰り広げる。