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2019年12月で活動2周年を迎えたバーチャルYouTuber富士葵。本稿ではバーチャルYouTuberの特徴および富士葵について、これまでの歩みに触れつつ書いていきます。宜しくお願いします。(所用時間:5~10分)「バーチャルYouTuber(=Vtuber)って何?」と聞かれた時に、私はよく「ネット上で喋れるミッキーマウスとかガチャピンとか…なんかそういうもんよ」と答える。それはつまり、特定の外見とキャラクター性を付与されて、それに基づいて行動する存在、という意味だ。そうすると「アニメやゲームのキャラと何が違うの?」と聞かれる。アニメやゲームのキャラクターとバーチャルYouTuber。両者の間には、最大にして決定的な違いが1つある。それは、魂の有無だ。アニメやゲームのキャラクターは制作陣(脚本)の手で動き声優により言葉を発するのに対し、Vtuberはその外見以外は『魂(=演者)』に一任されている。アニメ等には声優が声を当てているが、それは台本に書かれた台詞を読み上げているのに対し、Vtuberはその時々で演者が自身の意見を考えて発しているのだ。もちろんVtuberにも前述のように特定のキャラクター性はあるので、それに沿ったRP(ロールプレイ:役割を演じること)が基本的には求められている。例えば『高校生』というキャラクターを与えられたVtuberが飲酒や喫煙などをしようものなら、演者が成人であったとしても多方面からバッシングを受けることだろう。いわゆる「キャラ崩壊」である。ただ、「著作権侵害者を蜂の巣にするミッキーマウス」「マッドサイエンティストのジャムおじさん」「大御所芸能人っぽく振る舞うピカチュウ」など、本来のキャラクターを崩したゆえのブラックユーモア的な面白さはVtuber界隈にも存在する。ただしアニメやゲームのキャラクターであれば「キャラ崩壊」をするのは二次創作などの第三者の手による場合が多いが、Vtuberの場合は、魂である演者本人がそれを引き起こすことがほとんどである。魂があることにより、良くも悪くも視聴者の予想外のことがリアルタイムで発生していく。魂があることによる自由と危うさ。これが私なりに考えたVtuberの大きな特徴のひとつだ。皆さんは、富士葵というVtuberをご存知だろうか。株式会社smarpriseに所属し『キミの心の応援団長』をコンセプトに掲げ2017年から活動をしているVtuberだ。正確にはバーチャルタレントと称し、『現実に存在する女子高生』として、通常のYouTuberのような企画のほか、突出した歌唱力を武器に歌動画のリリースや音楽ライブにも多数出演し、2018年にはユニバーサルミュージックと契約して名実ともにプロのアーティストとして活動することとなった。これまでにCDシングル2枚、CDアルバム1枚、その他にも配信限定のシングル曲やカバーアルバム集などをリリースし、その全てが何かしらのランキングの上位に掲載されている。2019年10月にはVeats渋谷にて1stソロライブを行い、700名分のチケットは抽選・先着含め一瞬で完売した。また、企業等とのタイアップも、JTB、東京ガス、清水エスパルス、三田製麺所、ヴィレッジヴァンガード、ファミリーマート、互助交通など一般企業のほかに、スマホゲームでは東京コンセプション、ぼくらの甲子園ポケット、FOX-Flame Of Xenocide-などでコラボキャラクターに起用された実績もある。更にテレビ・ラジオの出演も多く、これまで10本以上の番組にレギュラー・ゲストそれぞれで出演している。 今回はその中でも彼女の初めてのテレビ地上波出演でもある、TOKYO MX 『ソーシャルジン』を軽く解説した上で、表題にもある彼女の『偽善』について触れていこうと思う。私は今でこそ一般企業で働いている社会人だが、小さい頃から漫画・アニメ・ゲームで育ってきたインドア派の人間だ。小学生の頃はジャンプ1本で育ち、青年期の友情の在り方は「ひぐらしのなく頃に」「リトルバスターズ!」で学んだし、応援することの素晴らしさと別れの辛さは「ラブライブ!(μ's)」で知った。ゆるキャン・ヤマノススメを見てキャンプに行きたくなるようなミーハーである。自分の内面的な理想は2次元の世界にあったし、それゆえに、ドロドロした現実の世界には嫌気こそささないものの「まぁ、現実はこんなもんだろ」とある意味では諦めのような気持ちでいた。2次元のキャラは現実世界には居ない。だからこそ、彼ら彼女らの生き様は眩しく、尊い。利害や損得勘定が見え隠れする現実世界では、どうしても「愛」とか「夢」とか「希望」とかいった言葉が軽薄に思えてしまう。現実世界の人々が声高に夢や理想を掲げても「別に否定はしないけど、なんかクサいなぁ」と思っていた。彼らが夢や理想を語るには、今の世の中はあまりにもノイズが多すぎる。それでも青年時代の心を捨てきれないまま、現実には存在しえない綺麗なものを、私は2次元の世界に求めていた。私はそんな「理想」と「現実」の間でぼんやりしている人間だった。私が富士葵と出会ったのは2018年3月末頃で、当時はVtuberの動画がニコニコ動画にアップロードされ徐々に話題となっていた頃だ。彼女の「なんでもないや」のカバー動画に興味を惹かれ、歌と他動画とのギャップでファンになるのにそれほど時間は要さなかった。当時の私は、2016年のラブライブ!(μ's)の活動休止の喪失感から未だに抜け出せなかったことと、Vtuber富士葵の「歌×未知数」がラブライブ!の流れと似ていたことも大きな要因だった。そんな中で発表されたのがTOKYO MX『ソーシャルジン』への出演である。『ソーシャルジン』は、jealkb(ロンドンブーツ田村淳を中心としたロックバンド)をメインパーソナリティに据え、ゲストにSNS上で有名な女性タレントを起用し、地域の新しい魅力を発信する街歩き系の情報バラエティ番組だ。富士葵はこの番組内で「バーチャルソーシャルジン」として冠コーナーを持ち、秋葉原・渋谷・お台場のおすすめスポットを、実際にロケを行いながら紹介した。また、彼女が初登場した回では自己紹介も兼ねて、jealkbのhaderu(ロンドンブーツ田村淳)とも会話をした。そのやり取りがこちら。いわゆる毒舌系のいじりにも物怖じせず即レスポンスする富士葵。当時リアルタイムで視聴していた私も「淳メッチャぶっ込むけど葵ちゃんの返しも上手いなぁ」という感想を持ちながら番組を楽しんだ。(余談だが、当時数名しか存在せず入替りも早かった田村淳のフォロー欄に富士葵は番組終了後も長期間おり、ソーシャルジンが協賛した『食フェス×エンターテインメントバトル Fight!in お台場』では、 富士葵が公式応援団長としてオリジナルソング提供や屋外ライブも行った)こうして富士葵の出演するソーシャルジンの第1回は無事に放送を終えたが、私の頭の中にはずっと何かが引っかかっていた。それは彼女の誕生日を機に、徐々に判明することになる。2018年6月18日。この日は富士葵の誕生日であり、彼女のチャンネルでお祝いの生放送が行われる予定だった。5日前からはプロのイラスト付きでカウントダウンが行われ、日付の変わった0時ちょうどには葵歌劇団(富士葵のファンの総称)や他Vtuber等からお祝いのイラストやツイートが多数寄せられていた。祝福ムード一色で迎えた当日の朝、それは起こった。いわゆる「大阪北部地震」である。最大震度6弱を観測したこの震災は、大阪府を中心に多数の死傷者を出し、家屋の倒壊、インフラ設備の麻痺などが朝のニュースで報じられ、それは各局で特番を組まれたまま1日中流れることとなった。Twitterでも安否確認や救助要請、現場を撮影した投稿などがタイムラインを埋めつくした。富士葵のツイートがあったのは、停電等はひとまず復旧したが正確な被害状況などはまだ不明であった午後2時頃であった。被災された方々へ。葵は『心の応援団長』です!みなさんと一つになっていつも通り過ごすこと、そして笑顔を届けることが、葵に今出来ることだと考えました。なので、今日の生放送もよろしくお願いいたします!また、富士葵が該当のツイートをする少し前に同じVtuberのキズナアイからこんなリプライが届いていた。こういったやり取りもあり、富士葵生誕祭2018の放送は予定通り行われることとなった。また、生放送の概要欄および冒頭数分にて、富士葵から本日の生放送を行うに至った経緯と、被災者への呼びかけ、そして当日のスーパーチャット(投げ銭)の一部を被災者への支援に当てることを話した。それからは上記のツイートの通り、普段の雰囲気に切り替えて笑顔を絶やさぬまま生誕祭の幕は閉じた。彼女はその言葉通り、応援団長としての自身の役割を全うして、笑顔を届けた。生誕祭から間もない2018年の夏から初秋にかけて、7月には西日本豪雨、9月には北海道胆振東部地震と、先の大阪北部地震の傷が癒えないまま立て続けに大規模な自然災害が日本を襲った。この自然災害に、富士葵は2つのアクションを起こす。1つ目は、自身のチャンネルにおける支援募金の呼びかけだ。みんなこんばんは!!彼女はここで、自身の知名度を活かしながら、ネット上でも支援可能なサイトを概要欄に記載し「ほんの少しからでも募金は可能なので、ご検討頂けますと幸いです」といった旨のコメントを残している。※本動画の収益化は行っていない。2つ目は、Vtuberチャリティーライブへの参加だ。株式会社Wright Flyer Live Entertainmentが主催し、動画配信サイトREALITY およびYouTubeにて、司会のKMNZ含むVtuber総勢53名から各種メッセージや歌動画を紹介する形式で行われた。ここでのギフトとスーパーチャットの全額(243万円1707円)と同社からの同額の寄付により、合計で486万3414円が被災者への支援に充てられた。富士葵はここで大トリを務め、被災者へのメッセージと共に山下達郎の『希望という名の光』を披露し、自身の想いを歌にして届けた。(富士葵の登場シーンは55分30秒~。お時間があれば、スクロールする手をいったん止めて、できれば当時のチャットコメント付きでぜひ1度ご覧になってみてください)こういった活動を通じて、富士葵は『ソーシャルジン』でも言ったように、日本を元気にして笑顔を届けるという自分の使命を成し遂げた。私自身もこの活動がきっかけで、Yahoo経由で各支援窓口に寄付を行った。そこで私はふと考える。「もしこれが現実にいる人からの働きかけだったら、ここまで心を動かされただろうか?」これまで私が心のどこかで「偽善だ、綺麗事だ」と断じてきたこと、それは「現実世界の人が夢や理想を語ること」だ。何をするにも利害関係がチラつく現実世界に、アニメやゲームの登場人物のような純粋な想いで行動できる人が果たして何人いるのかと心の底で嘆いていた。それがVtuberという特定の外見とキャラクター性を付与されるとどうだろう。彼らの中には現実に生きる魂(演者)がいるはずなのに、途端に見知った2次元の要素が増えてくる。イラストや3Dのモデルが、血の通った人間のように見えてくる。架空の存在である彼らが、魂の厚みをもって現実との境界を跨いできたような気分になるのだ。(彼らがRPから大いに逸脱しない限りは)そんなバーチャルYouTuberの世界で『キミの心の応援団長』というコンセプトで生まれた富士葵。もちろん企業戦略として資金調達を行う運営陣が居て、富士葵の核となる魂(演者)が居る。この現実世界に生まれ育ったわけではなく、運営陣が彼女の外見をデザインし、行動指針となるコンセプトをプロデュースした。そこに富士葵の魂となる人物が声と動きを与えることで初めて「バーチャルYouTuber富士葵」が存在していることになる。そうして生まれた彼女は、上述のコンセプトに則りながら歌や日々のコミュニケーション、時には復興支援の呼びかけ等を通じて人々の心を癒し、励まし、笑顔を届けた。その精神は活動から2年が経った今も、変わらずに存在している。人の手が加えられた、言い換えれば、人為的な存在である富士葵。そんな彼女が成し遂げてきた数々の支援活動やチャリティーライブなどの活動。それらの全てに対して、私は「偽善だ」と感じることはなかった。それはきっと、人の手が加えられたからなのだろう。様々な現実のしがらみを取り除いて、ただ純粋に、誰かのために何かを為したいという願いが込められたからなのだろう。漫画家や小説家やアニメーターが、自分の生みだしたキャラクター達に夢や理想を託したように、富士葵もまた沢山の人々の綺麗なものを託されて生まれてきたのだと思う。バーチャルYouTuber富士葵の『偽善』は上辺だけの『偽り』ではない。それは、たくさんの人の願いが込められた『人が為す』希望という名の光なのだ。ずっと頭の中で引っかかっていた『ソーシャルジン』での会話で富士葵の放った「葵、綺麗事 得意なんです!」という一言。きっとそれは台本などではなく、その場で口から出てきたものなのだろう。しかしそれは、今も昔も変わらない、富士葵のとびっきりのチャームポイントの1つだったのだ。今回、富士葵を語るにあたって災害からの復興支援を中心に話を進めてきた。しかしながら、彼女はネット上で災害復興やボランティア活動等を支援するために生まれた存在ではない。繰り返しになるが、富士葵の本質は、当初のコンセプトにもある『キミの心の応援団長』なのだ。一口に「応援」と言っても、その解釈は個人の価値観や置かれている状況により日々変わっていくことだろう。バシンと背中を叩いて送り出して欲しい人もいれば、何も言わずそっと寄り添うことが次への一歩に繋がることもある。富士葵はインタビューや生放送等で度々「押し付けるような応援ではなく、優しくポンッと背中を押すような応援を心がけています」と話している。その姿勢は彼女の歌動画や、普段のTwitterや生放送で見ることができる。しかしながら、彼女は『キミの心の応援団長』という肩書きを持ったVtuberであると同時に、実在は1人の血の通った人間でもある。息抜きにゲームもすれば食事もするし、日がな1日ボーッと過ごすこともある。決してプログラムに従って「応援」という機能を提供するロボットではない。そこには私たちと同じように、日々を生きて、当たり前に感動し、変化していく人間の姿がある。そんな富士葵の「応援」が活動当初から今まで多くの人に支持され、今もなおファンが増え続けているのは、決して付与された『キミの心の応援団長』というキャラクター性のおかげではない。それを自分の中に落とし込み、様々な形で表現し続けてきたこと、また、彼女自身も夢を追って挑戦し、時に挫折しても、前を向いて走り続けてきた姿があるからなのだ。富士葵がこれまで歩んできた全ての物語が生まれたての彼女を形作り、その色とりどりの軌跡こそが、いま私たちの心を動かしている。心に寄り添えるのは、心だけだ。想像してみてほしい。あなたが夢中になり憧れてきたキャラクターがモニターや本の中から飛び出し、私たちの日常の中で生きる姿を。おはようと挨拶を交わしながら、何気ない出来事でも笑いながら共有する姿を。あなたが立ち止まってしまった時、そっと背中を押してくれる姿を。自身の物語の中で、苦悩し葛藤し、それでも前に進み続けてきた彼ら彼女らが、あなたに全力で向き合っている姿を。私にとっての富士葵は、そんなかっこいい、最高のヒーローなのだ。終■あとがき最後まで読んで頂きありがとうございました。今まで富士葵さんを知らなかったり名前だけは聞いたことあるような方に、少しでも興味を持っていただけたのなら幸いです。また、今回は富士葵さんの、どちらかといえば「かっこいい」部分に焦点を当てたものになりました。これは私から見た富士葵さんを私自身の言葉で綴ったもので、彼女の魅力を表現するほんの一部分にしか過ぎません。おそらく10分の1にも満たないことでしょう。それほど富士葵さんの活動は多岐に渡っており、逆に言えば、いつでも・どこからでも、例えば今からでも、彼女の物語に参加できる機会があります。一番とっつきやすいのは歌動画や単発ゲーム実況でしょうか。最近はポケモン実況なども力を入れています。皆さんのお気に召したものを、富士葵さんのチャンネルからご覧いただき、あなただけの「ここすき」を見つけて頂ければ嬉しいです。(個人的なオススメも最後にいくつか置いておきます)最後に、バーチャルYouTuberにおける魂(演者)への表立った言及や推察は、個人的にはあまりするべきではないと考えています。もちろん心の中での感謝と尊敬は忘れずに、彼ら彼女らが色々と考えた末に決断して見せてくれる姿を、ありのまま楽しめればいいなと思います。改めて、最後まで読んで頂きありがとうございました。■個人的おすすめ動画・デビューシングル『はじまりの音』のショートMV・『MY ONLY GRADATION』:本人が作詞に参加した、富士葵の軌跡を描いた1曲・A whole new world(アラジン):大ファンの布施明さんとのコラボ。・絶対に笑ってはいけないシリーズ。相方「キクノジョー」との協力(?)プレイ・日本の伝統文化を紹介する『Focus on JAPAN』シリーズ文責:2019.12.12 どぅーここまで熱心に読んでくださった皆さんにだけ最後のお願いです。もし可能であれば、感想付きでも感想無しでも構いませんので、このnoteの共有や葵ちゃんの動画視聴&共有など、今まで葵ちゃんと接点の無かった人の目にも触れるような、ちょっとしたアクションを起こして頂ければ幸甚です。昨今では様々なVtuberさんが、望む・望まないに関わらず、引退や休止となる状況が続いています。葵ちゃん達が現在どういった状況で、何が出来て何が出来ないのかは、只のファンである僕には分かりません。ただ、もしも葵ちゃん達が何かをしたいのに、チャンネル登録者数、動画再生数、ファンクラブ会員数、生放送視聴者数、CD売上枚数、活動資金等が足りないのであれば、今まで葵ちゃんに励まされきた身としてはとても心苦しく、数字としては「1」にしかなれない自分に対して、もどかしい気持ちでいっぱいです。そんな中で今回のアドベントカレンダーの企画を知り「自分にも何かできるのでは」と思いこのnoteを書きました。僕から見た『富士葵』は、夢を託したプロジェクトであると同時に、現実世界におけるIPビジネスでもあります。熱意だけではどうにもならないことが山積みです。その熱意を目に見える形にして、今度はみんなで葵ちゃんの背中を押すことができれば、それが1番のエールになると僕は考えています。重ね重ねになりますが、ここまで読んで頂き本当にありがとうございました。文責:2019.12.12 葵歌劇団 どぅーバーチャルとリアルの行方