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毎年、大きな活躍を見込まれ来日する助っ人外国人選手。しかし、悲しいことに期待に応えられずに所属したチームを退団するケースがほとんどだ。 自由契約となったのちに引退する選手もいる一方で、現役を続けるプレイヤーもいる。その多くは、来日する前にプレーしたアメリカに戻り再びメジャーを目指すというものだが、韓国プロ野球(KBO)や台湾プロ野球(CPBL)といったアジアのリーグに活躍の場を求める選手も決して少なくない。 これまで、ボーグルソン(阪神、オリックス)などアメリカに戻ってメジャーで活躍した選手は日本で報道されることは多いが、韓国、台湾で好成績を残してもその情報が入ってくることはほとんどない。 そこで、今回は日本で成功できなかったものの、その後に韓国、台湾で活躍した選手たちを振り返ってみたい。 まず最近で思い当たるのが、楽天でプレーしたブリガムだ。2016年に来日したブリガムは、楽天では0勝3敗、防御率5.24と未勝利に終わったが、韓国リーグでは“覚醒”。翌2017年からKBOのネクセンに入団し、3年間通算で34勝18敗、403奪三振、防御率3.72の好成績をマークするなど、先発ローテーションの中心として見事な働きを見せている。防御率は3点台後半だが、2018年はリーグ6位(3.84)、昨年はリーグ7位(2.96)と、打高投低が顕著な韓国リーグで上位に食い込んでいる。 打者ではブリガムと同じ2016年に来日したDeNAのロマックが挙げられる。日本では30試合の出場で打率.113と散々だったが、KBOのSKでは2018年シーズンにリーグ2位タイとなる43本塁を放ち、3年間通算で打率.283、103本塁打、266打点をマーク。昨年はオールスターのホームランダービーで優勝し、完全に助っ人外国人としての地位を確立した。 古いところだと、2000年にダイエー、2003年からの2年間は巨人に在籍した投手のランデルも思い出される。日本では3年間で28試合に登板し、防御率5.76と振るわなかったが、KBOの斗山では4年間で49勝32敗467奪三振、防御率3.41とチームの中心選手となった。 他にもボーデン(西武・投手)、オクスプリング(阪神・投手)、ブラウン(阪神・投手)、ナイト(ダイエー、日本ハム・投手)、エバンス(楽天・内野手)など、日本で成功できなかったものの、韓国リーグ移籍後に好成績を収めた選手は多い。 テーマとはそれるが、日本で本塁打王に2度、打点王に1度輝いたペタジーニ(ヤクルト、巨人)は韓国でもその打棒を披露している。2004年を最後に日本を離れたのち、メジャーのレッドソックスなどに所属したペタジーニは、2008年から2年間KBOのLGでプレー。入団2年目には出塁率でリーグトップの.468を記録し、LGの球団史上初となる100打点超えの活躍を見せた。通算で183試合に出場して打率.338、33本塁打、135打点という立派な成績をマークしている。 ペタジーニのように、日本でも活躍したあとに韓国でも実績を残した選手としては、ガルベス(巨人・投手)やフランコ(ロッテ・内野手)などもいる。 日本では成績を残せず、台湾リーグで活躍した助っ人としては広島でプレーしたリベラが当てはまる。カープアカデミーから広島への入団を果たしたリベラは、日本では1994年シーズンに2試合に先発して未勝利(1敗)、防御率7.71に終わったが、1995年に台湾に渡るとエース級の存在に。所属した時報(現在は消滅)と、統一の3年間通算で、37勝18敗、345奪三振、防御率3.29と堂々の数字を残した。 同じく投手だと、2009年からオリックスで2年プレーしたレスターも台湾では成功した選手。日本時代にはリリーフとして55試合の登板で2勝3敗10セーブ、防御率4.88とパッとしなかったが、2012年には台湾の統一で先発投手として12勝(5敗)をマークするとともに、リーグトップの防御率2.48を記録。また、2003年に阪神に在籍したポートも日本では1勝にとどまったが、2008年にレスターと同じ統一で13勝(5敗)を挙げている。 来日前に台湾でかなりの実績があったものの、日本では全くダメだったルイス(巨人)は、再び台湾に戻って活躍したパターンだ。台湾プロ野球で高打率をマークしたことから“台湾のイチロー”として期待され1997年に巨人に入団したが、39試合の出場で打率.237、0本塁打、14打点と低迷。守備でもエラーを連発し、今でも巨人の“ダメ助っ人”として必ず名前が挙がるプレイヤーの一人である。 だが、巨人を退団した翌年の1998年には、台湾(高屏雷公)で首位打者、打点王、ゴールデングラブ賞を獲得。その後2001年には韓国プロ野球でもプレーし、サントスという登録名で打率.310、26本塁打、107打点の好成績を収めている。 ルイスと似たような経歴をたどった選手としては、2003年に巨人入りしたラスも挙げられる。ラスは韓国で前年に16勝(8敗)を挙げ、先発ローテ入りを期待され巨人と契約を結ぶも、3勝4敗、防御率4.14と思ったほどのパフォーマンスを見せることが出来ず、1年の在籍で退団となった。 そして、2004年に韓国の斗山に舞い戻ると、リーグトップの17勝(8敗)、防御率2.60の好成績をマークし、翌年には楽天に入団し2度目の来日を果たす。しかし、ここでも3勝9敗、防御率6.33と日本の野球には適応できずに終わったが、2007年には台湾のLa Newで12勝(5敗)を挙げるなど、日本以外のアジアでは素晴らしい投球を見せている。 このように日本のプロ野球では苦しんだが、アジアの他のリーグでは好成績をマークした元助っ人は多い。特に日本では悔しい思いをした選手が韓国で活躍するケースが目立っており、今後もこういった流れは続いていくのではないかと予想される。Facebook で「いいね」を押すと、似たようなストーリーをご覧いただけますサイトの全体的な評価をお聞かせください: スコット・マシソンは巨人にずっといて欲しい助っ人外国人 ... 審判にボールを投げつける危ないピッチャーとか、開幕から打たれ続けて浅草で観光していたダメ外国人とか、今考えればロクな奴がいな … プロ野球・元巨人のゲーブ・キャプラー氏(42歳)が大リーグ・フィリーズの新監督に就任した。 同氏は2005年、巨人に外野手として在籍したが、38試合で打率は・153と低迷。
活躍する外国人はずっと球団にいて欲しいと願うもの。一昔前ならラミレスとかクロマティ。他の球団ならバレンティンとかバースとか。古い選手もチラホラいるのは年齢的なものなので仕方ない。そして今、ずっと巨人にいて欲しいと思うほど愛してやまないのがスコット・マシソンだ。マシソンはメジャーでの実績はほとんどないが、各球団の外国人スカウトの間ではかなり評価が高かったらしい。そんなマシソンが来日したのは2012年。身長190センチを超える長身から繰り出されるストレートはとにかく力強い。ほとんどが150キロ台後半で、しかも角度があるからストレートを待っているところにストレートが来ても、なかなか打たれないほどの球威に度肝を抜かれた。んが、やはり外国人特有のセットポジションに悩まされた。来日早々は、フォームも固まらず、制球も定まらなかったが、ほとんどストレートだけで乗り切れる程の球威を彼は持っていた。山口と共に巨人のブルペンを支え続け、もう3年連続60試合以上登板している。今年はシーズン開幕当初先発への転向?という話もあったが、チーム事情によりセットアッパーへ。なのに全く文句も言わずに黙々と投げ続け、現時点で既に40試合以上登板している。このペースで行けば今年も間違いなく60試合以上登板してくれるだろう。かつてこんな真面目な外国人助っ人はいただろうか?審判にボールを投げつける危ないピッチャーとか、開幕から打たれ続けて浅草で観光していたダメ外国人とか、今考えればロクな奴がいなかった。しかしマシソンは来る日も来る日もブルペンに入り、一番苦しいシチュエーションで出てきてキッチリと仕事をこなす。まぁたまにストレートも上ずり、変化球もすっぽ抜け、フォアボールを連発し試合を壊すこともある。でもそんなことはご愛嬌と思えるほどの優良外国人なのは間違いない。マシソンがいなければ、マッスルストッパー澤村がここまでの安定感を見せることも無かったかもしれない。困った時、苦しい時いつもあの大巨人セットアッパーが助けてくれる。彼が母国に帰るなんて言わせないように、読売グループを上げて守ってあげて欲しい。
© Copyright 2020 ジャイアンツ愛ストーリー. 提供 ダイエー、巨人では振るわなかったランデルだが韓国プロ野球では活躍 (c)朝日新聞 ... 解雇当日に浅草観光…“平成ダメ助っ人”は誰だ? しかし、巨人にはかつて大きく期待を裏切った助っ人外国人が、過去に何人も存在していた。参考までに彼らを紹介しつつ、ギャレット、クルーズがその系譜に名前を連ねない祈るばかりだ。 ゲーリー・トマソン(1981、1982年在籍)