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アリ・アスター監督の最新作「ミッドサマー」を見た。結論から言うと全然怖くはなかったし、特にグロテスクでもなかったし、エッチなシーンには謎のぼかしが入っていたのでエロティックな感じもしなかった。綺麗な映像と生々しくも気まずい人間関係が延々と続く、そういう類の映画である。その意味では、「フレンチアルプスで起きたこと」とか、そっちの方に近い作品であるかもしれない。 まずは本作の構造をおおまかに整理しておこう。「ミッドサマー」には、大きくわけて二つの陣営が存在する。一つはダニーの恋人クリスチャンとその友人たちに代表される(プロテスタント的な価値観に支配された)現代米国社会、もう一つは夏至祭の舞台となるホルガというコミューンである。 問題となるのは、本作のラストカットである。クリスチャンたちを生贄に捧げ、彼らに火を放つラストシーンにおいて、ホルガの人々は絶叫する。それは生きながらにして火に焼かれるという犠牲者たちの想像を絶する苦痛に共振しているからだ。だが、ダニーだけはそうではない。村人たちが絶叫し、泣き叫ぶなかで、ダニーだけは一人笑みを浮かべている。彼女は他の村人のように、犠牲者たちの苦痛を共有していないのだ。映画はその不気味な笑みを映して終わる。 これは決して、ダニーが悪人であるということを意味しない。彼女は常に事態に巻き込まれる側、被害者の側である。ダニーが妹を殺したわけではないし、自殺するよう唆したわけではない。スウェーデン旅行に連れて行けと自分から言い出したわけではない。クリスチャンに浮気をさせたわけではない。「ミッドサマー」の世界は、けれどダニーが心の底に隠している欲望を先回りして叶えて見せる。我々はみな、現代社会の表面的な人間関係に疲れている。愛していないことがわかっていながら、あたかも愛しているふりを続けなければならないことに疲れている。だが、同時にそのゲームを自分からやめることもできないのは、それによって自分が悪しき存在になってしまうことが嫌だからだ。しかし、もしもその願望をすべて肯定し、叶えてくれる楽園があったとしたら?相手が一方的に破滅し、自分がイノセントな存在のまま関係性のゲームから下りることができるのだとしたら?ラストのダニーの選択は、そして彼女の笑みは、彼女がその楽園の誘惑に屈したことを意味している。ダニーは決して、ホルガというコミューンの一員になったわけではない。彼女らと同じ生き方を、規範を共有したわけではない。全てが終わった後で、彼女はただ認めたのだ。自分が相手の破滅を願っていたことを。「ミッドサマー」という作品で起こったこと全てが、彼女の願望であったということを。 最後にもう一つ、付け加えておこう。「ミッドサマー」はダニーの物語であり、彼女のための物語でもある。本作がダニーの視点から描かれた物語であることは、監督自身もインタビューで語っている。他の人物の視点から見れば、また違った物語があるだろうと彼は言う。視点の違いとはすなわち、立場の違いでもある。死んだ者と生き残った者との違い。溺れたものと救われたものとの違いだ。けれど、その違いこそがホルガというコミューンが無化しようとしているものに他ならない。村人たちは感情の共振によって互いに同化し、個々の立場の違いを限りなくゼロに近づけようとする。焼かれた者の悲鳴を反復し、ともに絶叫することによって。しかし、その中にはダニーのあの冷たい笑みが紛れ込んでもいる。 本作のラストシーンがおぞましいのは、単に人間が火あぶりにされているからではない。火あぶりにされた人間と火あぶりにした人間の差、その絶望的な立場の違いを、ホルガの人々があたかも「ないもの」であるかのように扱うからだ。火あぶりにされた者たちの苦痛は当人にしかわからない。いくら彼らの絶叫を反復し、その恐怖に共鳴したところで、殺した者と殺された者の差がなくなるわけではない。ホルガの人々は一方でその隔たりを保持しながら、同時に感情のレベルではそれを「ないもの」にしようとする。そのようなことがあたかも可能であるように思い込む欺瞞。行為のレベルでは残虐な罪人でありながら、倫理のレベルでは善人であろうとする欺瞞。それこそが、ホルガというコミューンのおぞましさの、その本質なのである。 (@movie__pic) いかがでしたでしょうか?今回は『ミッドサマーのペレはダニーが好きなのか?メイクイーンのその後をネタバレ考察』をご紹介しました。ペレの両親も幼い頃に火で焼かれて死んだ、と作中にあるので、夏至祭は90年に一度というわけではなく、毎年あると仮定して、ミッドサマー映画のその後を考察してみました。ペレはダニーが好きだったんです。最初からダニーと結婚したくて夏至祭に誘ったのです。映画を観ていない人にはネタバレだった部分もあると思いますが、後半の「その後のストーリー」は全て筆者の憶測と妄想による創作です。あなたの考える「その後ストーリー」バージョンは?最後、ダニーは笑顔だったので、彼女にとってはハッピーエンドと言えるのかもしれないですけど、映画の中では5日間しか描かれてないこと(祝祭は9日間のはずなので残り4日は単に語られなかったたけなのか、それとも映画のエンディング時点でまだ終わってないのか…)、それとメイクイーンは毎年選ばれているようなのに、前年の勝者だという人が村にいない、その人についての話がない(歴代のクイーンの写真が飾られているシーンはあるが)という点がとても気になります。その辺もダニーが、この後幸せに暮らせたかわからないよ~って思わせる為の監督の演習ならまんまと術中に嵌まってる私です。ひろさん、5日間しか描かれていないこと、鑑賞中にちゃんとカウントされたんですね!©Copyright2020 映画『ミッドサマー』で主人公のダニーたちを夏至祭に招待したスウェーデンからの留学生ペレは、温厚な人柄ながら謎の多い人物です。どんな生い立ちなのか、なぜダニーたちを誘ったのか?ダニー以外の招待者全員が生贄に取られて死んでしまうことを初めから見越していたのでしょうか?いっぽうで、村に出ようとするダニーには「ここには”本当の家族”がいるよ」と言って引き留めます。ペレはダニーが好きなのでしょうか?家族も恋人も死んでしまい、それまで自分を支えてきてくれた存在を全て失ってしまったダニーは、その後どうなったのでしょうか?今回は『ミッドサマーのペレはダニーが好きなのか?メイクイーンのその後をネタバレ考察』というタイトルで、作中のペレについての解説と、夏至祭が終わった後のダニーについて考察してみたいと思います。 もくじミッドサマー見終わったからTwitter村のミッドサマー民の様子を観よう!!って思ったらミッドサマーの演者たちのオフショットがガラが悪すぎて笑っちゃった。 — (@liangtu59) ペレはもともとクリスチャンの友達で、夏至祭に行く話にも最初はダニーは入っていませんでした。しかし彼はクリスチャンが、自分にべったり依存してくるダニーを鬱陶しいと思っていることも、ダニーの妹が両親を道連れに自殺を図り、ダニーが家族全員をいっぺんに失ってしまったことも知っていたと思います。ペレの両親も幼い頃に炎で焼かれて死んでしまい孤児になったペレは、その話を聞いた時点でダニーの喪失感に共感し、好意を寄せていたのかもしれません。誕生日にもダニーの似顔絵をプレゼントしていましたね。では、生贄を捧げる狂気の祭典にペレはどんなつもりでダニーを歓迎したのでしょうか?これについては夏至祭に外部の人間を呼ぶ目的を振り返る必要がありますね。 ハルガ村に着いてから、ダニーたちは村のしくみや風習についてあれこれ質問します。「村の人数が少ないようだけど、血が濃くなりすぎることはないのですか?」と。これについて村人の答えは「だから時々外部から人を招きます」というものでした。ダニーたちが参加したのも、ハルガ村側の意図としては「良い人がいたら仲間に引き入れたい」という意味だったのです。つまり外部の人間を夏至祭に呼ぶ目的は2つありました:強いて言えば、2つ目の目的に叶う人物は「丈夫で健康な子供を埋める、体力がある女性」か、「精力のある男性」だったはずです。ダニーが夏至祭でダンスの競技に参加させられたのは、「一族に引き入れるにふさわしい、丈夫でスタミナのある女性かどうか」を確かめるためのテストだったと言えるでしょう。最後のひとりになるまで倒れず踊り続けて勝利したダニーは、晴れてテストに合格しメイ・クイーンとして祭り上げられます。お祝いの席で「あなたはもう家族よ!」と声をかけられ、ダニーの合図によって食事が始まるシーンは、彼女が一族の一員となったことを表しています。天涯孤独で帰る家も家族もなかったダニーには、拒む理由もなかったでしょう。ペレはそこまで見込んでダニーを招き入れたのではないか、と思います。 いかに勘とセンスの良いペレでも、ダニーがダンスで優勝するところまでは予測できていなかったはずです。もしもダニーが早い段階で踊り疲れて倒れてしまい、メイ・クイーンに選ばれていなかったらどうなっていたのでしょう?ダニーは殺されていたのでしょうか?いいえ、わたしは、ダニーは最初から村に懐柔するつもりで呼ばれたと思います。ペレは天涯孤独で寄る辺ないダニーを一族に迎えることが、お互いのためにも最高の救済だと思って連れて行ったんだと思うのです。ダニーたちが知らないところで、ペレがダニーについて話した情報は村人たちに共有され、みんなでダニーをかつぎ上げたんだと考えています。ダニーがメイ・クイーンになったのだって、もしかしたらわざと周りの女性たちが示し合わせて先に倒れたのかもしれません。そのほうがダニーが歓迎されていると実感できるからです。もしもダニーが命を落とす可能性があったとしたら、ペレの説得を全く聴き入れず、コニーのようにハルガの風習を拒絶して出て行ってしまった場合だけだったと思います。どちみち外部からの生贄は最低4人必要だったわけなので、ダニーへの当てが外れた場合は、やむを得ずダニーを先に生贄に決めたかもしれません。でも生贄になることさえも、ハルガ村では幸せなことなので、ペレたちには罪悪感はなかったと思います。予定の人数より多くの人間が死ぬことになるかもしれませんが、ハルガ村で生贄を出す機会はしばしばあると思うので、次回用とかなんとか、言い訳はいくらでも作れると思います。・・・ 『ミッドサマー』の役者さんたちのオフショット、ホルガ村の日常って感じですごく良いな…写真集出して欲しい — もつれら (@mtmtSF) ここからは筆者の妄想と勝手な憶測です。クリスチャンが生贄となり、神殿ごと焼き落されたのが祭典のクライマックスで、無事に9日間の夏至祭は終わりました。ダニーは村人たちの温かいサポートに癒され、「本当の家族」に囲まれていると実感します。ペレや他の村人たちの勧めにより、ダニーはしばらく村で暮らすことにしました。そのほうがダニーの心の傷が早く癒えるとペレがアドバイスをしたのです。大学は休学です。ペレが手続きを代行してくれ、「クリスチャンやマークはどうなった?ジョシュはどこへ消えた?」という煩わしい噂の処理もペレが全部やってくれました。ダニーにはもはや過去の世界に未練がないので、ハルガ村の住人として再生するのにそれほど時間はかかりませんでした。村の風習を学び、料理や生活様式を吸収して、すっかり一族に溶け込みます。ハルガの民は34歳までは人生の夏で「巡礼の時」なので、ダニーも翌年までハルガで過ごし、また大学に戻りました。今のダニーの恋人はペレです。休暇の度に村に帰ってくるペレと次第に仲良くなり、二人は交際するようになったのでした。 ダニーがハルガの民になってから数年の時が流れ、今年もまた夏至祭の季節がやってきました。90年に一度巡ってくるのは「大祭」ですが、それ以外の年にも夏至祭は毎年あるのです。ダニーとペレは大学を卒業し、ダニーにはすでに2人目の子供がいます。今年の夏至祭では、ペレが生贄を志願しました。「今年は僕が生贄に立候補することにしたよ。」とペレ。「随分早く行ってしまうのね。寂しいけど、あなたが決めたことだから、嬉しいわ」とダニー。子供たちも笑顔で納得してくれました。ガラガラで選ばれたもう一人の生贄は、ダニーが村に来てから親切にしてくれた女友達でした。ペレたち生贄が神殿に入る前、ダニーは彼女に挨拶に行きます。「わたしがメイ・クイーンになった初めての夏至祭を覚えてる?競技の前のグラスをあなたと飲み干したのよ」「覚えてるわ、懐かしいわね!ダニー、元気でね!」「ありがとう!」笑顔で神殿に入っていくペレたち生贄一同。「イチイの木から取って来た。痛みを感じない」そう言って村人の一人が生贄たちの舌にひと掬いずつ薬を乗せて廻ります。やがて儀式通りに火が放たれ、全然熱いし痛いため叫び出した生贄たちに合わせて、神殿の外ではダニーや子供たち、他の全員の村人たちが狂ったように一緒に叫ぶのでした。終わり ミッドサマーにハマったわたしは、コロナで外出できない週末、こちらの映画に出会いました。チリに実在したカルト集団の実態を描いたエマ・ワトソン主演の映画『コロニア』です。ハルガ村の解せない風習もすごかったけど、こちらも凄まじかった・・・しかも実話!歴史も学べておうち時間が楽しくなる映画、コロニアについて知りたい方はこちらから♪↓ ミッドサマーでのオフショットより、フローレンス・ピューちゃん — nice movie pic.